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四国旅行記 前編 坂本龍馬はなぜ英雄になれたのか?

フォートです。

9月13日(木)~9月18日(火)の5泊6日の日程で四国は高知~愛媛へ旅行に行ってきました。

この記事では旅で感じたこと、得られた気付きなどをシェアしたいと思います。

この記事で一番伝えたいのは「坂本龍馬を自分自身に引きつけて考えるなら脱藩前の前提条件にこそ目を向けないと見誤るよ!」ということになります。

1.羽田空港~高知龍馬空港へ


まずは東北新幹線に乗って東京駅経由でJR浜松町駅で下車。そして東京モノレールへ乗り換えて羽田空港へ向かいます。

東北の山奥に住んでいるため、これだけでも大移動です(^_^;)

11:25羽田発の飛行機でしたが、あえて早めの9時30分前には到着するように日程を組みました。

パツパツの日程を組まずに早めに空港に行き、空港で働く人を見たり飛行機の離発着を見たりすると童心に還った感もあり非日常が味わえるのでオススメです!

 

高知龍馬空港に着くと小雨が降っていました。

実は家を出るとき折り畳み傘を持っていこうとしましたが、出来る限り荷物を増やしたくないのと晴れてくれるはずという楽観視から持たずに来ていました。

傘は現地調達すればいい話ですが、少しでも支出を抑えたい人は現地の天気予報のチェックをして持参したほうがいいかもしれません。

 

2.高知城へ

空港からは空港連絡バスが出ており、かの有名なはりまや橋(👆夜に撮った写真です)で下車しました。

空港でレンタカーを借りる必要性がなければ、市内への移動手段はこのバスを利用するのが一番ですね。

 

バスを降り、最初に行ったのがご存じ高知城です!

高知城は小さい山の上に建てられている平城です。

比較的登城しやすいお城なので、行って登ればきっと思い出に残ること間違いなし。

https://twitter.com/fort555/status/1040119507493126144

 

楽しそうなツイートしていますが、私の中では高知県は複雑な土地柄というイメージが強いです。

 

時は遡って慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い。

西軍(石田三成方)と東軍(徳川家康方)に分かれて戦いが繰り広げられましたが、東軍側が勝者となりました。

この頃の土佐(高知)の領主は長宗我部氏であり、西軍に味方したため敗者側となりました。

思えばここから土佐藩の苦悩が始まっているように私は思います。

 

戦後、長宗我部氏は徳川家康に許しを請いましたがいろいろあり容れられず、領地替えになっています。

代わりに新領主として入ってきたのが上のツイートの写真の馬に乗っている山内一豊です。

👇山内一豊役を上川隆也さんが好演しておられました。原作もいいのでオススメです!

領地を治めていくにあたって領主である山内家は、山内家の家臣は「上士(上級武士)」、長宗我部家の家臣は「下士(下級武士)」として身分を分けました。

現代では信じられないかもしれませんがこの時代にはこのような身分制度があり、様々な制約があったようです。(内容は割愛させていただきます)

余談ですが、ツイートに載っている板垣退助は自由民権運動の魁になり明治新政府でも要職についていたとはいえ、上士だったことも他の維新志士と比べて高知城直下の好立地に銅像を建ててもらったように私は推測しています。

 

3.坂本龍馬について

お城をあとにして、次は坂本龍馬の生誕地へ徒歩で向かいました。

 

ここで、龍馬さんがなぜ大事業を達成しえたのか、なるべく史実に基づいて持論を書いてみます。

私が今までに蓄えてきた知識と実際に現地を歩いてみて分かった内容で構成しました。

 

英雄になれた条件は以下の⑩個です。

 

①身分では「下士」(郷士ともいう)でも裕福な商家で生まれ育ち、金銭的に困ることはなかった。(これは歴とした史実です)

②商家生まれであるがゆえ、小さい頃から商売気質を養える土壌があった。(この気質がなければ亀山社中などの今でいう「会社」は興せず、資金調達に苦労していたはずです。)

③実家が海に近く、小さい頃から「外」を意識することができていた。(海援隊を組織して軍事組織の反面、外国人相手に商談を持ち掛け商売もしていました)

④実家がお城からかなり近く当時の土佐藩士、特に下士の中では間違いなく情報感度はかなりよかったはず。(しかも武家&商家という立場からして多様な情報が入ってきていたはず。龍馬邸、ホントにお城から近いのでGoogleMapで確認してみてください)

⑤下士という弱い立場だったからこそ、弱い者の立場に物事を考えることができた。(脱藩後に起案した血を流さずの大政奉還にはこういった龍馬の庶民へ対する思いが込められていたのではないかと私は推察しています)

⑥実家の理解もあり19歳という若さで江戸遊学に行かせてもらうことができた。(一旦土佐に戻ってもう一度遊学しています。江戸遊学は現代からすると最先端の場所に海外留学に行くような感じです。)

⑦江戸遊学中に偶然にも黒船来航をリアルタイムで見て異国の脅威を肌身で感じることができた。(土佐藩士の1人として沿岸警備に従事したようです)

⑧江戸遊学中に西洋砲術の大家佐久間象山の私塾に入塾したりして見聞を広めることができた。(10代~20代にインパクトのある出会いをするとその後の人生に大きな影響を与えることは現代も同じではないでしょうか)

⑨北辰一刀流(←名門流派です)を修めた剣術の達人であり、単身でも世を渡り歩き、事を成せる胆力が身に付いていた。(免許皆伝かは諸説あり)

⑩下士という身分と商家生まれというある意味いいあんばいの立場から、藩や殿様に骨の髄まで滅私奉公するという気持ちは比較的薄く、結果的に思い立ったが吉日で素早く脱藩(当時は脱藩して見つかれば死刑なのど極刑です)へ行動を移すことができた。(簡単に言うと当時としてはかなり身軽だったということです。現代では会社に依存しすぎないのが身軽につながるかもしれませんね)

 

 

いかかでしょうか。決してこじつけな論法ではなく出来る限り史実に基づいて書いています。

変な言い方かもしれませんが、龍馬さんって下士だったけれども、それを差し引いたとしてももの凄く恵まれた環境で育っていると思いませんか?

英雄になるべくしてなったような人のように現地へ行って感じました。

これらは全部脱藩する前の話というのがさらに重要です。

神出鬼没でフラフラしていて得体が知れない感があるイメージの龍馬さんですが、上を見ていただくと基礎固めがしっかりされていて中身がギッシリと詰まった骨太の侍だったということが分かっていただけるはずです。

脱藩後は、勝海舟のもと神戸の海軍操練所で軍艦を操って「海援隊」を作ったり、当時は犬猿の仲だった薩摩と長州の仲を取り持って「薩長同盟」に導いたり、無血体制移行の「大政奉還」の起案をしたりしています。(※実は薩長同盟のほんの数年前にこの両藩は京都で一戦交えていて同盟など結べる状態ではありませんでした)

誰しもが1度や2度は聞いたことのあるはずのこういった出来事全てに龍馬さんが深く関わっています。

当時としては恵まれた環境と少年時代に耕された基礎的な土壌があったことによって、脱藩後にこのような後世に残る偉業が達成できたといえるのではないでしょうか。

人間は環境に支配される生き物であることが現地を歩いて考察してみて肌身に感じましたし、いつでも行動を起こせるように身軽でいることがどんなに強いかがよくわかり、自分の人生に取り入れられるヒントもたくさん得られましたのでここでシェアしておきます。

坂本龍馬を目指したり真似したりすることは誰でもできるけれども、坂本龍馬のような功績を残すにはもはや選ばれた民のみが成せるのかもしれませんね。

現代では坂本龍馬や脱藩になぞらえて、会社を辞めるのも自由ですし国外に出るのも自由です。

しかし、あらゆるものから自由になるのもいいけれど「自分を一番自由で居させてくれる束縛は何なのか、自分自身に問いかけよう」という思いをこの旅を通じて強くしました。

自由を切望する悩みこそが、近代思想が人間に仕掛けた最大の見えない罠であり毒かもしれません。

 

この旅ではいい意味で非常にアイデンティティが揺さぶられ、そして心地よい刺激を受けることができました。

百聞一見にしかず、自分で行って見て確かめることにかなうものはありませんね(>_<)

 

まとめ

 

1.羽田空港~高知龍馬空港へ

2.高知城へ

3.坂本龍馬について

 

旅行記のつもりが坂本龍馬論のようになってしまいましたが、1人の人物にクローズアップするだけでも多くの学びを得ることができるのが歴史の面白さかもしれません。

坂本龍馬というとどうしても脱藩後の功績ばかりが語られがちで、その前提条件となっている少年時代がすっぽり抜け落ちて英雄像が一人歩きしている感じがしてしっくりきませんでしたが、この旅によって全体を俯瞰して見ることができたように思います。

土佐にはまだまだたくさん偉人がおりますが、収拾がつかなくなりますのでこの辺にしておきます(^_^;)

その土地ごとにそれぞれの魅力が詰まっており、まだまだ埋もれたままになっている部分もあるかもしれません。

そんな地域の魅力がもっと日に当たる日がくればいいなとこの旅を通じて思いました。

この記事も最後までお読みいただき、ありがとうございましたm(_ _)m